小さな会社ほど、その価値は人の中に眠っている。

ここから、話の向きが変わります。第一章は、私が自分の仕事に問いを立てる話でした。ここからは、あなたの会社と、どう問いを立てていくのかを書いていきます。

最初に、一つだけ問いを置かせてください。あなたの会社の強みは、何ですか。

デザインの仕事で経営者の方にこう伺うと、「うちは特にないですよ」「普通のことを、普通にやっているだけで」という答えが返ってくることが、少なくありません。謙遜もあると思います。ただ、それだけではない気がしています。本当に「ない」のではなく、「見えていない」のではないか。今の私は、そう考えています。

価値は、ないのではなく、見えていない

第0回で書いた建設会社の職人さんたちは、自分たちの仕事を「自己満」と呼んでいました。継ぎ目に手間をかける、手カンナで艶を残す。本人たちにとっては当たり前すぎて、価値だと思っていなかった仕事です。そして、協力業者さんの一言が場に入った瞬間、その「当たり前」が、本人たちにも否定できない強みとして立ち上がりました。

あの日見たものは、特別な会社の特別な出来事ではなかったのかもしれません。毎日続けていることほど、本人にとっては空気のようになる。空気は、自分では見えません。企業の中には、まだ見えていない価値がある。あの絵の前で、私はそう思いました。

なぜ、小さな会社ほど「人の中」にあるのか

大きな会社では、価値は少しずつ、仕組みの側へ移っていきます。マニュアル、制度、ブランドガイド、社内の共通言語。誰かが辞めても残るように、言葉にして、形にして、積み上げていく。

小さな会社は、その手前にいます。判断の基準は社長の頭の中にあり、仕事の質は職人の手の動きに宿り、お客様に選ばれる理由は、スタッフの何気ない気配りの中にある。仕組みになる前の価値が、そのまま人の中に、生のまま置かれている。「属人的」と言われると、弱みのように聞こえます。けれど、それは裏返せば、その会社にしかない価値が、まだ人の中に生きているということだと思うのです。

第04回でも書いたように、私自身、小さな会社の代表として、人は仕組みよりも人についてくるのだと、後から気づきました。小さな会社の価値は、きっと同じ場所にあります。

眠っている場所は、たぶん三つある

どこに眠っているのか。まだ仮説の段階ですが、今の私には、三つの場所が見えています。

  • 手が覚えていること。 長年やってきた人の、段取りやこだわり。本人は「普通」だと思っているので、言葉にされたことがありません。
  • 経営者の頭の中にだけある構想。 日々の業務に追われて、まだ誰にも話していない、事業の方向や願い。話していないどころか、自分でも整理できていないことがあります。
  • 他の人だけが知っている評判。 お客様や協力業者さんは気づいているのに、本人たちの耳には届いていない、「あの会社の、ここがいい」という声。

どれも、新しく作るものではありません。もう、そこにあるものです。

見えないままだと、何が起きるか

見えていない価値は、伝えられません。採用の場で、うちの魅力を聞かれて言葉に詰まる。お客様に、価格以外の選ばれる理由を説明できない。社員同士でも、「うちらしさ」が人によってばらばらのまま走っている。広告やデザインにお金をかける前に、まずここが揃っていない会社が、実はとても多いのではないか。そう感じています。

可視化とは、すでにあるものを、連れ出すこと

だから私は、「可能性の可視化」という言葉を使っています。価値を新しくつくることではありません。人の中に眠っているものを、見える場所へ連れ出すことです。

ただ、自分の当たり前は、自分では語れません。誰かの問いが入り、誰かの言葉に照らされたときにはじめて、姿を現します。では、その価値を、実際にどうやって掘り起こすのか。

——次回は、私がどんな「問い」を持って会社の中に入っていくのかを、書いていきます。

この新しいサービスについて人に話すと、よくこう言われます。「それって、コンサルだよね?」

正直に書きます。私は、コンサルティングという業態に、良い印象を持てずにいました。だからこそ、この一言を言われるたびに、少し立ち止まってしまいます。たしかに、傍から見れば近く見えるのかもしれない。でも、自分の中では、はっきりと違うものだという感覚がある。その違いを、一度きちんと言葉にしてみようと思います。

私が実体験として出会った、悪いコンサル

これまで、いくつかの現場で、コンサルタントという肩書の人たちと接する機会がありました。詳しい経緯は書きませんが、共通していたのは、次のような姿勢です。

答えを与え続ける。指示を出し続ける。そして、その関係が続く限り、顧問料が発生し続ける。経営者が自分で考えられるようにするのではなく、むしろ、自分で考えなくても回るようにしてしまう。結果として、その会社は、いつまでもその人の助言なしでは前に進めなくなる。

対等な立場で並ぶのではなく、上に立とうとする態度も、何度か感じました。専門知識を盾に、経営者や、私たちのような外部の協力者を試すような接し方をする。こうした振る舞いが、私の中に「コンサル」という言葉への、良くない印象を刻みつけていたのだと思います。

本来のコンサルティングとは、こうあるべきだと思う

ただ、これは、コンサルティングという仕事そのものの姿ではないはずです。冷静に考えると、この仕事には、本来、とても正当な役割があります。

社内のしがらみに縛られない、外部の目線で指摘すること。数多くの事例を見てきた経験から、遠回りせずに済む型を示すこと。経営者には時間が足りない、腰を据えた調査や分析を引き受けること。そして何より、良いコンサルティングが目指すべきなのは、「自分がいなくても、その会社が自分の足で立てるようになること」だと、私は思います。知見を渡し、判断の型を残し、やがて自分の関与を必要としなくなることをゴールにする。それが、本来あるべき姿です。

だとすれば、私が苦手だったのは、コンサルティングという仕事ではありません。自立を後押しするはずの関わり方が、いつの間にか、依存をつくり出す関わり方に変わってしまっている。そのことに、私はずっと違和感を持っていたのだと、今は分かります。

では、具体的に何が違うのか

「コンサルだよね」と言われるたびに考えてきたことを、一度整理してみます。

こうして並べてみると、違いは「賢さ」や「業界知識の量」ではないことが分かります。コンサルティングは、知見と型で答えに導く仕事です。私たちがやっているのは、対話で可能性を仮説し、それをクリエイティブという手段で実際に形にして渡す仕事です。入口は似ていても、向かう先と、最後に手元に残るものが違います。

では、私は何がしたいのか

 

ここが、私の答えです。

私がやりたいのは、答えを渡すことではありません。その会社の人たちと一緒に、まだ言葉になっていない可能性を、仮説として立てていくことです。「こうかもしれない」「これは、まだ確信はないけれど、可能性があるかもしれない」。断定せず、対話の中で、一緒に確かめていく。

これは、抽象的な話をしているわけではありません。対話の先には、具体的な成果物があります。社内の誰もまだ言葉にできていなかった強みを、採用ページで使える一行に落とし込む。経営者の頭の中にしかなかった事業の方向性を、社員が読める言葉と図にして残す。「なんとなく」で続いてきた会社の空気を、ロゴやビジュアル、冊子という目に見える形に変えて、社内外に伝わるようにする。デザインとは、本来そうした「まだ形になっていないもの」を、形にする技術です。対話で可能性を仮説し、クリエイティブでそれを実際の形にする。ここまでを一貫してやる。それが、私のサービスです。

良いコンサルティングも、私が目指すクリエイティブも、目指す先は同じだと思っています。その会社が、自分の言葉で、自分の未来を語れるようになること。ただ、そこへ向かう手段が違います。コンサルティングは、型と経験知で、その自立を後押しする。私は、対話と気づきと、その先にある「作って渡す」というものづくりで、その自立を後押ししたい。

正解を渡すのではなく、可能性を、一緒に仮説する。そして、仮説で終わらせず、形にして渡す。それが、私がクリエイティブという立場でやりたいことです。

コンサルは、敵ではないかもしれない

ここまで、コンサルという業態への違和感を書いてきました。ですが、最近、考えが少し変わってきています。

会計事務所、DX支援会社、金融機関。こうした立場の方々は、私よりもずっと多くの会社と日常的に接点を持っています。決算や融資、システム導入の相談を通じて、経営者の本音に近いところにいる。彼らが悪いわけではありません。むしろ、彼らもまた、数字やシステムの外側にある「人」や「言葉」の部分まではなかなか手が回らない、というもどかしさを抱えているのではないかと思うようになりました。

だとすれば、私がやるべきは、コンサルという業態そのものと対立することではないのかもしれません。会計事務所やDX支援会社、金融機関にとって、私たちのような対話とクリエイティブの専門家は、競合ではなく、顧問先の課題を一緒に解決できる仲間になり得る。数字やシステムでは届かない部分を、私たちが補う。そういう関係性を、これから少しずつ作っていきたいと思っています。

相手の成功が先、自分の利益は最後

もう一つ、ここに書き加えておきたいことがあります。

私は、相手のビジネスの成功を先に置き、自分の利益は最後でいいと考えています。これは、きれいごとのつもりで言っているのではありません。自分の利益を先に置いてしまったら、この「人」を中心に据えるという自分の理論そのものが、嘘になってしまうからです。

自分の利益を優先するビジネスは、長くは続きません。目先の利益を追えば、答えを与えて依存させる方が、きっと効率がいい。でも、それでは私が批判してきた、あの構造と同じになってしまいます。だから私は、あえて遠回りに見える方を選びます。

——次回からは、私自身のことではなく、実際にみなさんの会社と、どう問いを立てていくのかを書いていきます。

なぜ、「人」を中心に置くのか

事業をつくるのは、結局、人だから。

これを書きながら、自分の中を探っています。なぜ私は、こんなにも「人」にこだわるのか。まだ、うまく言葉になっていません。とりあえず、過去を振り返るところから始めてみます。

私は以前、人を雇う立場でした。零細企業ながら、できる範囲でオフィスをかっこよく整え、福利厚生も充実させました。そうすれば、チームのモチベーションは自然と上がるはずだと思っていたからです。設備や制度を良くすること。それが、経営者としての自分の役目だと考えていました。

でも、それだけでは足りませんでした。何が足りなかったのか、当時の私には分かりませんでした。

何が足りなかったのか

今、改めて考えてみると、足りなかったのは、環境の良さではなく、「この会社の未来が、楽しそうかどうか」だったのかもしれません。まだ、これも仮説です。断定するには、少し自信がありません。

どれだけオフィスが快適でも、福利厚生が手厚くても、その先に見える景色にワクワクできなければ、人の心は離れていく。逆に、環境が多少不便でも、代表自身が本気で動いている姿に、人はついてきてくれることがある。そんな気がしています。人が本当についていくのは、制度ではなく、代表である自分自身の行動力や、人間的な魅力の方だったのではないか——今、そう思い始めています。

だとすると、商品より先に

もしこれが本当なら、一つ気づくことがあります。商品やサービスを磨くよりも先に、そこで働く人たちが幸せかどうかの方が、大切なのではないか、ということです。

どんなに優れた商品も、どんなに洗練されたプロモーションも、それをつくり、届けるのは人です。その人たちが、自分の仕事に納得していなければ、表面をどれだけ整えても、いずれどこかで綻びる。逆に、そこで働く人が自分の仕事に誇りを持ち、未来にワクワクしていれば、それは商品やサービスの端々に、自然とにじみ出るはずです。

だから、プロモーションをデザインする前に、まず「その会社で働く人たちが、今、幸せかどうか」を問うてみたい。今の私は、そう考えています。これは、きれいごとを言っているつもりはありません。自分自身が、経営者として一度、そこを見誤った経験があるからです。

まだ、答えは出ていません

あらゆるサービスは、人が考え、人が使います。そして、そのサービスを支えているのは、日々そこで働く人たちの心の状態です。この仮説が正しいのかどうか、私はまだ検証している最中です。だからこそ、「人」を中心に据えて、これからいろいろな会社に、実際に問いを立てにいこうと思っています。

——では、それはコンサルティングとは何が違うのか。次回は、その話を書きます。

デザイナーとして、表層だけをつくることへの違和感。

こう書くと、きっとこんな声が聞こえてきます。「デザインで仕事が取れなくなったから、対話とか、気づきとか言い出したのでは?」

正直に答えます。それは違います。数字から、お話しします。

デザイン事務所として、1クライアントあたりの単価を上げたり、自社商品に付加価値をつけたいがために、「ブランディング」や「伴走支援」という寄り添い方のビジネスを、私はやりたいわけではありません。当社も零細企業です。パンデミック後、一度は売上が下がりました。でも、そこから3期連続で前年を上回ってきました。下降線ではありません。マイクロカンパニーであることは変わりませんが……(頑張ります)。

そもそも、市場規模が小さい

話したいことは山ほどあるのですが、まずデータから見ていきます。

日本の法人数は約340万社。そのうち、広告・デザイン事業者は約9,000社、デザイナーは約20万人。市場規模は約4.75兆円です。一見、大きな数字に見えるかもしれません。でも、この市場を支えている事業者のほとんどは、5人以下の小さな会社です。

つまり、日本のデザイン業界そのものが、決して大きくない器の中で、無数の小さな事業者がひしめき合っている構造なのです。このデータから見えてくるのは、「デザインで食えなくなった」という個人の焦りの話ではありません。もともと、この業界には、たった一社が独り勝ちできるような広さがない、という構造の話です。

限界を感じたのは、デザインではありません

では、なぜ私は対話型のビジネスを始めようと思ったのか。

デザインに限界を感じたから、ではありません。デザインは、今も私が誇りを持ってやっている仕事です。限界を感じたのは、むしろ自分自身の側でした。打ち合わせの仕方、つまり聞き取り方です。

これまで私は、ヒアリングという形で、お客様の要望や課題をお聞きしてきました。でも、限られた時間の打ち合わせで引き出せるのは、多くの場合、すでに本人の中で整理された言葉だけです。本当に聞きたいのは、その手前にある、まだ言葉になっていない本音や、事業全体の輪郭でした。そこの解像度が低いまま進めたデザインは、どれだけ技術で仕上げても、どこかで芯を外します。

だから私は、対話型のビジネスを、デザインへの近道として始めることにしました。遠回りに見えるかもしれません。時間もかかります。それでも、前工程を丁寧にすることでしか、本当に届けたいデザインには辿り着けない。そう考えるようになったのです。

それでも、知識も経験も足りていません

ここも、正直に書きます。

デザインは、私にとって表層の仕事です。目に見えるものを扱う、勝手のわかる領域です。一方、対話は、人の心を扱う仕事です。誰かが、まだ言葉にできていないことに、対話の中で気づいていく。そこに立ち会うための知識も経験も、私にはまだ全然足りていません。これは謙遜ではなく、率直な自己評価です。

それでも、私はこの仕事を面白いと感じています。誰かが、自分でも気づいていなかった強みに、対話の中で自分で気づく瞬間。それに立ち会うことは、表層をきれいに整える仕事では、決して味わえないものでした。

可能性の可視化が必要なのは、私自身かもしれません

ここまで書いてきて、一つ気づいたことがあります。

「可能性の可視化」——このサービスを一番必要としているのは、実は私自身かもしれません。十数年、表層のデザインだけをやってきた自分の中にも、まだ言葉にできていない可能性が、たぶんあります。知識も経験も足りないまま、それでも面白いと思って飛び込んでいる今の私は、他でもない、自分自身に問いを立てている最中なのだと思います。

——次回04は、なぜ私がここまで「人」にこだわるのか、その理由を書きます。

「ブランド」という言葉の語源をご存じでしょうか。

もとは、牧場で自分の牛と他人の牛を見分けるために押した、焼き印だと言われています。英語の brand は、その焼き印を指す古い言葉から来ていて、つまりブランドの出発点は、「他と識別すること」でした。

だからでしょうか。多くのデザイナーは、ブランディングを「識別できることや統一感をつくること」だと考えています。ロゴを整え、色を決め、書体を揃え、どこを切り取っても同じ表情に見えるようにする。
これは正しい仕事です。私自身、デザイナー時代は整えることに心血注いでいました。

でも、キャリアを重ね、企業の課題を解決をしたいと思うようになりデザインの役割やクリエイターとしての視点を変えるようになりました。

今回は実例を挙げながらお話しします。

志賀高原のホテル シャレー志賀様のブランディングから紐解きます。

 

識別の、その前にあるもの

識別は、実はいちばん最後の工程です。ロゴや色や書体で「他と見分けがつく」ようにできるのは、伝えるべき中身が、すでに定まっているからにほかなりません。

ところが実際には、その手前が抜け落ちていることが少なくない。「そもそも、何を識別させるのか」。その会社が何を大事にし、何を信頼の拠りどころにしてきたのか。そこが見つからないまま統一感だけを整えても、出来上がるのは、なんだか整ったデザインです。

「意味」ではなく、「気づき」

ここまで、私は「意味」という言葉を使いたくなります。でも、正直に言うと、それも少し違うと思っています。意味とは、外から名づけて固定するものだからです。「これは、こういう意味です」と誰かが答えを与えた途端、そこから先の広がりが止まってしまう。

私がやろうとしていることは、そこに”意味を与える”ことではありません。対話の中で、その会社自身が、まだ言葉にできていなかったことに、
“ご自身で気づく”そのお手伝いをさせていただいているだけです。

気づきは、内側から立ち上がるものであるべきで、対話を通じて、徐々にアウトラインが見えてきます。

対話を通じて、シャレー志賀様での私の答えは「オーナーご夫婦」でした。
以前WEBではお部屋の魅力や周辺の魅力など、商品説明をきれいに作り込まれサイトでした。
対話を重ねながら気付いたオーナーご夫婦のホテルに対しての思いや自然への敬意が深く、お二人を全面だすことで、
解像度が上がり信頼獲得につながりました。
とくに効果が上がったのが「採用」でした。オーナーの人となり、ホテル歴史、志賀高原の自然が物語を通じて共感していただきました。

 

——とはいえ、こう書くと、こんな声も聞こえてきそうです。「デザインで食えなくなったから、そんなことを言っているのでは?」。次回は、その問いに、正直に答えます。